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滝山城の歴史

国指定の史跡、滝山城は戦国時代の中頃、大永元年(1521年)に武蔵野国守護代の大石定重が、この城の北西約1.5kmの高月城から移り築城したものと伝えられている。

定重の子定久のとき北条氏康の支配を受け、その子氏照を養子に迎えて、滝山城は大石氏から北条氏照の居城となりました。氏照は更に城を拡充し、その規模は雄大さは当時関東屈指の山城と云われた。本丸、中の丸、二の丸、空堀などの巧みな遺構にそれが伺える 上杉謙信、武田信玄などから猛攻を受けた滝山城であるが、特に信玄、勝頼父子による永禄12年(1569年)10月の城攻めは、熾烈を極めたといわれている。

滝山城の対岸、拝島の森に武田信玄本隊が陣取り、別動隊の小山田信茂は、当時予想もしていなかった小仏峠を越えて乱入した。武田本隊は平の渡しから多摩川を渡り城下の村々を焼き払い滝山城を包囲した。城内からは滝山宿(現滝山町2丁目周辺)に兵を繰り出し防戦に当ったと云われている。何とか落城は免れたものの、合戦から様々なことを学び、やがて甲州道を直接監視する八王子城に天正15年(2587年)ごろ移った。滝山城下の商業的な場であった横山、八日市、滝山も八王子城下へ移った。